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2024.2.5 07:00ゴー宣道場

倫理は誰が(何が)決めるのか? その1

おはようございます。三味線です。
年度末で怒濤の日々をしのいでいる昨今です。φ(.. ‘;;;

前回は、倫理にはどのような性質があるのかを、法律と照らし合わせながら考えてみました。
https://www.gosen-dojo.com/blog/44749/
トッキーさんにコメントして頂いた通り、ゴー宣シリーズ全体が、壮大な倫理絵巻・哲学絵巻なので、人間界サイコーの実践倫理教本になっています!!(さぁ、こんな時代だからこそ、ブロマガ『小林よしのりライジング』を購読しましょう!!月額たったの550円!!)

今回から、その倫理は誰が(何が)決めるのか?
ここではゴー宣流に、行儀の良い学協会の諸説は一旦脇に置いておいて、ガンガン探っていきましょう(「常識」に杭を打って、どこまで飛べるかチャレンジです)。

●まず全体像

この図は、倫理や哲学がどのように積み上げられていくかを階層構成で示したイメージ図(案)です。地層をイメージすると理解しやすいでしょう。

●経験や歴史
まず、倫理に限らず、何かについて議論する場合、どこかに基準軸(固定軸)を定めていないと発散してばかりになるものです。その基準軸になり得るのが、共通の経験や歴史です。これらは基本的に、どんなに虚飾しようと、人の都合に関わらず、決して逃れられない固定化された過去・事実です。
改めて言うまでもありませんが、よしりん先生の名作の数々は、最新の『日本人論』はもとより、その多くが歴史に基づいて描かれています。また歴史だけではなく、よしりん先生ご自身のご経験はもちろん、読者など他者の経験も効果的に描かれており、論理に強力な説得力を生み出しています。
一般に、ある人が何らかの経験に基づいてそうだからといって、全体がそうであるとは限らないのですが、自分も似たような経験をしたという「あるある」感があったり、その経験が事実であると認められる相当性があったりすることが基準軸になり得るのです(裁判でいえば「事実認定」に相当するヤツですね)。カイジの利根川幸雄ではありませんが、「事実は命より重い!」といっても過言ではないでしょう。

身近なところでは、たとえば学校などは、小中高大と進級するたびに、さまざまな場所からさまざまな経験を有した人が集まります。そして入学後、同じ空間で同じ時間をすごす、ある種の共同生活を経ることによって、小さいながらも確固たる歴史(事実)となります。
実は日本人も、範囲は広いですが同じ空間で同じ時間をすごすことによって、日本人の歴史が形成されています。近ごろ、椎野カロリーナさんがミス日本に選ばれましたが、同じ空間で同じ時間を他の日本人と共にすごしてきた紛れもない日本人です。

●文化や信仰/思い
冒頭の図では、歴史から直接常識が派生するようには描いていません。その間には「文化や信仰/思い」を介在させています。これは、倫理や哲学においては、科学や数学のように、科学的事実が即結論とはならない人間や社会、またその精神・心理の複雑さや曖昧さが介在するからです。何らかの共同体で、何らかの経験や歴史が積み上がってくると、いきなり常識が形成されるというよりも、まず漠然とした文化や信仰が築かれます。
先ほどの学校の例を引き継げば、新たな学校に入学後、しばらくすると、真面目グループや不真面目グループ、おちゃらけグループなど、さまざまなクラスターが構成されていくはずです。仮に、不真面目グループの仲間内で「やばい、来週の課題がわからん。誰かメモっとらんか?」と尋ねたところで、「しらん」「オレらの中で、そんなヤツおるわけないわ(笑)」といった会話がなされるのが自然(文化)です。逆に、真面目グループ同士で、テスト直前に「どっか遊びに行こーや!」と言っても「オマエ、(アタマ)大丈夫か!?」などと躱されるのがオチ(文化)でしょう。
なお、これらはごく狭い共同体における「彼らの常識」といっても良いかも知れませんが、「常識」というのは、もっと普遍性や汎用性があった方が良いでしょう。

信仰というと、仏教も神道もキリスト教も、宗教的な信仰心はそこに相応の歴史があってこそ派生したものですが、この層には、「○○と思う」「○○という気がする」といった漠然とした「思い」も含めています。
そういった「思い」も文化や信仰があるからこそ(というよりも、ほぼセットで)そう思うようになるのですが、普段そんなことは意識しませんよね。
でも、たとえば、お仲間主義的な集団主義は、誰かリーダーに従ってさえいれば(大した労力もなく)極楽浄土に行ける、天国に召される、といった大乗仏教やカトリックの影響が見られるでしょう。それに対して個人主義では、自ら厳しい修行を積んで報われようとする、小乗仏教(上座部仏教)やプロテスタントの影響が強いといえるでしょう。
日本人の多くは「宗教にはあまり関心はない」と思っていますが、ひょっとすると、それは無意識なだけで、非常に強い宗教的呪縛に囚われているかも知れませんね。

ちなみに、「男系男子が日本の伝統である!」「悠仁様まではゆるがせにしてはならない」というのは、男系男子は明治以降(約150年前)に新設されたフィクション的法制度ですし、悠仁様が即位する頃には断絶が決定してしまうので「悠仁様で断絶させろ」と言っているのと同じです。こんなものは歴史でも事実でもなんでもない、単なる明治信仰・妄想・思い込みです(「あんなこといいな、できたらいいな、あんな夢こんな夢いっぱいあるけど(略)きっと誰かがかなえてくれる」といった幼稚な信仰です)。

想像以上に長くなりそうなので、また次回!!
今週もがんばって参りましょう!!φ(.. ‘;;;

 


【三味線 プロフィール】
生業の道路・河川・港湾等における電気通信設備設計の傍ら、大学等で技術者倫理,エンジニアリング・デザイン(設計論)の非常勤。酒と煙草と本と映画と音楽とブラックユーモアを愛し、差別と偽善と全体主義が嫌いなノラ猫型。趣味は多趣味。ゴー宣DOJOでは主にPA廻りを担当。

 


 

 

【トッキーコメント】
ゴー宣がことあるごとに「歴史」に立ち返ることの重要性は、ここでも明らかだと思います。
経験や歴史が一番基礎の地層であって、これを喪失したらすべてがゆがむのは、当然のことです。

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